贅沢な国民
今年も年始早々、多くの方々に温かく迎えていただきました。
フットボールをきっかけに繋がった仲間達。
会場には過去に使用していたMSAユニホームを着用して僕たちを迎え入れてくれた方々もいました。
毎年、年明けすぐではありますが、1月にスポーツが持つ素晴らしいパワーと、サッカーで繋がった世界の仲間達との絆を確認出来ているのは、僕たちにとってすごく大きいし、これを日本の子ども達に伝えることが出来る事に感謝したい。
サッカーがきっかけで、僕はメキシコという国をすごく好きになった。
サッカーの強い国ばかりに目が行き、海外遠征先もそれらの国に向かうことが多い現代。
しかし、メキシコはサッカーだけじゃなく、大切なものを学び、感じることがこの地では出来る。
MSAで海外へ渡った選手は明らかに気づいているだろう。他社が行なっている普通の海外遠征とはMSAの海外遠征は一つ、二つも、それ以上に違うことに。
それだけ多くのことを感じながら、サッカーをプレーするので、やはりサッカーの際の感情の入り方が断然違う。
今回の遠征でも、ほとんどのMSA選手達が決勝トーナメントで敗れ、ピッチに泣き崩れた。
観客席で見ていた保護者の方々も。
もちろん、僕たちMSAスタッフも感極まるものがあった。
サッカーで敗れ、初めて泣いた選手もいた。赤ちゃんに戻ったんじゃないかってくらい声をあげて、泣いた選手達。
少ないサッカー人生の中でも、まだ日本でPKを1回も外したことがなかった選手が、この地で足が震え、PKを外した。
それだけ、彼らは日本では感じることのないプレッシャーを感じプレーをしていた。
これは外(海外)へ出ないとわからない感覚だろう。
もちろん、日本も素晴らしい。
衣、食、住の三拍子が素晴らしく揃っている。
海外の方々が日本に来ると口を揃えて、「このまま日本に居たい」と言う。
正直、何一つ不自由が無い日本で、日本人は更なる欲求が生まれている。
日本人は贅沢な国民だと思う。
不自由から学び、不自由から生まれるアイディアも沢山ある。
サッカーは表現。機械的な選手が増えているのはこの辺りが通ずる部分があるかもしれない。
与えられた環境、道具、チーム、、、
大人に敷かれたレールに乗り、成長をコントロールされる子ども達。
アイディアの乏しい選手が増えるのも無理はない。
ブラジルなどの奥地では写真の様なこんな子ども達だっている。
憧れの選手を目指し、また家族の貧困を救いたいからプロサッカー選手になるんだという子どもも居た。
これを見るとまだまだ、日本の選手が世界の選手達と本当の意味で戦える様になるには、相当の年数がかかると思う。
しかし、小さい変化を今から作っていかなくてはいつまでたっても変わっていかない。
業界のお偉いさん達は自分達が良ければ、別にこの業界を大きく変えようとも現状思っていない。
僕たちの様な考えを持った大人達を信頼して、一緒に世界へ渡ったちびっこ達や保護者の方々が、年数をかけ成長をし、
いつの日かこのサッカー業界の常識を変えて行ってくれると信じてる。
世界の指導者達が口を揃えてこう話す
「日本人は非常に高いスキルを持っている。この部分は世界にも引けを取らない。しかし、そのスキルを活かすだけのイメージ(頭)が足りない」
「この部分が卓越した選手達が現れた時に、日本のサッカーが、世界のサッカーに変わるかもしれない」と。。