東日本大地震
2011年3月11日に起きた東日本大震災から、今年で9年目。
長い様にも感じるし、まだこないだの事の様に短くも感じる。
僕、個人的には2012年から子ども達へ支援物資として、当時僕が着ていたJリーグクラブのユニホームや契約していたメーカーの商品を被災地の子ども達へ送らせていただきました。
サッカー道具を積み、車を約7時間ぐらいだったかな?走らせて気仙沼でサッカークリニックをやらせてもらいました。
仮設住宅などから子ども達が気仙沼にある中学校に集まり、みんなでボールを蹴りました。
話をしていると、この震災でご家族やお友達が亡くなってしまったり、まだ見つかっていないなど。
僕自身、耳を塞ぎたくなるぐらい、あまりにもリアルで、ショッキングな話が多くてあの時はまじで辛かった。
でも、あの子達は紛れもなく、あの被災を経験した。
正直、サッカークリニックを通じて、何かパワーを与えられたら、、、そんな気持ちで気仙沼に入りましたが、全く逆でした。
津波でサッカーボールも、シューズも、チームのユニホームも流されてしまい、何も無くなってしまった子ども達に、僕達が関東から持ってきたサッカーボールを渡すと、目をキラキラさせながら蹴り始めた。
家族、恋人、友人、今まで当たり前にあったものが無くなったこの状況。。
絶対、辛いはずなのに。悲しいはずなのに。サッカーどころじゃないかもしれないのに。
僕たちを温かく迎えてくださり、一緒にボールを蹴る子ども達の顔はすごく爽やかで、これ以上ない笑顔だった。
僕たちが、パワーをもらい、また人間の強さを学びました。
そして、今までサッカー選手として、現役を長いことやらせてもらってましたが、この時に1番、スポーツの持っているとんでもない力の凄さを感じました。
サッカークリニックが終わってから、思わず安心からか、無事に終わる事が出来たという、達成感の集中の糸が切れたのか、涙が溢れてきたのを今でも覚えてる。
僕は震災の時は東京にいて、怖い思いをしたけど、それ以上、いや、想像を遥かに超えた恐怖を感じていたと思う。
でも、それでも前に進もうとしている方々を見ていて、僕の様々な考え方が一変しました。
「当たり前を当たりと思ってはいけない」と。
家族と幸せに同じお家でご飯を食べれること。
沢山のお友達がいること。
好きな子が出来たこと。
そして、好きなスポーツに取り組める環境があること。
決して、当たり前ではない。
僕の中にずっとあり、大切にしてるこの言葉。
僕も様々な所でこの言葉を伝えています。
あれから数年の時が経ち、過去に起きた震災の爪痕を感じさせないほどに復興は進みつつあります。
姿は徐々に無くなってしまうかもしれませんが、あの時起こった事は決して忘れてはいけないし、次の世代にも伝えて行かなくてはいけない。
話はそれるが今、世界中で新型コロナウイルスの感染拡大の影響で学校の休校、スポーツの自粛など今までの「当たり前」が、当たり前に出来ない状況。
だからこそ、色々考える時間にしてほしい。
お父さん、お母さんは大変だと思うけど、ご家族で一緒に居れる時間が長いこと、そして好きなスポーツが出来ないこの状況。
色々、今まで気付く事のできなかった一面に遭遇できるかもしれない。
ピンチはチャンスです。
こんなピンチだからこそ、前向きに考えてまた大好きなスポーツが思いっきり出来る環境に戻った時には成長した自分に会えるように。
まじで、日本人は強いよ!!
東日本大地震もみんなで力を合わせて乗り切って今がある。
国難といわれ、辛いけどみんなで必ず乗り越えていけるから頑張ろう!
ONE TEAM JAPANだよ。