見守ってあげれる余裕
こんにちは。
とある場所で、大勢のこども達とYouTubeの撮影をしてきました。
近々、アップされますのでお楽しみにしていてくださいね。
さて、
この職業柄、色々な場所で子ども達の保護者からご相談を受ける事が多いのですが、話を聞いていると最近は習い事などに熱心な親御さんが多いのを感じます。
すごく良い事だし、子ども達も小さい頃から様々な選択肢が広がり楽しいかと思います。
でも、なんだか子ども達よりも、親が熱心になりすぎちゃってるのかな?と、感じてしまう部分があります。
まぁ、各々のご家庭での教育方針があるので、なんとも言えない部分がありますが、たまに親のエゴでこども達は本望ではない場合も中にはあります。
やりたくないことをやり続けることほど、苦痛でしんどい事はありません。これは大人だろうが、こどもだろうが一緒。
僕が小学校の時、父親がサッカーをやっていたこともあり、半ば強制的にサッカーを始めました。
ただ僕の場合は、その父親が作ったきっかけからサッカーにどんどんのめり込んでいって、今に至ります。
しかし、みんながみんなそうではありません。
特に最近の子達は感受性も強く、自分がやりたいもの、やりたくないものを意外にハッキリしている気がするし、嫌々やってるな。と、こども達を見ているとわかる瞬間がある。
お父さんやお母さんが言うからって、我慢してやってるこどもも多かったり。
〇〇したの?
宿題やりなさい。
学校に遅刻するよ。
これらも良く大人サイドから良く聞くフレーズ。
でも、
〇〇してない。
宿題やってない。
学校に遅刻した。
これで、本当に困るのは親である大人じゃない。
よくあるのは、このフレーズを大人はずっと言い続けて結局、言うこと聞かない子どもに対して、「何回、言えば聞くの?」とか、「同じこと言わせないで」みたく、大人の方がイライラしてくるパターンが多い。
そりゃ、子ども側はそれは言うこと聞けないよ。
正確には聞けないじゃなくて、それによっての行く末が子ども達にはわからないから、子ども達は怒られても、別の時にはまた同じことで怒られるを繰り返してしまう。
〇〇してなければ、困るのはその子。
宿題やってないで、先生から注意を受けて嫌な思いをしたり、みんなの前で宿題やってない人で、名前を呼ばれたりして恥ずかしい想いをするのは宿題をやってこなかった、その子。
学校に遅刻して、授業に遅れてみんなよりも勉強に遅れが出て困るのはその子。
でも、上記は全てにおいてその子自身が、行わなかったこと(手段)で、困る(結果)という行く末を体験している。
この部分を子ども達が実際に体験をしているか、していないかは成長において非常に大きい。
最近では、大人がこれを事前に防いでしまうコーチングをしてしまっている事が多い。
子ども達の成長するチャンスを奪っているのは、実は一番身近にいる親なんじゃないかな?
とか、たまに感じたり。
結局、上記の話も後々の先生から親に対しての注意の連絡や周りの目を気にしてしまうが故に、先に子どもへ大人がそう伝えてしまうんだと思う。
でも、いいじゃん。別に死ぬわけじゃないし。
親が先生に軽く注意を受けるだけで、子どもがグングン成長してくなら、俺は良いと思うけどね。
それが本当の意味での、親の愛情だと思う。
子どもは大人の目に見えていない所で、どんどん成長していきます。
そして、大人がコントロールして育った環境の子ほど、大人になってから苦労をする。
大人はあれやりなさい、これやりなさいを発信するのではなく、選択肢を用意して、実際に子どもに選択をさせる。その結果がどうなるにせよ、子ども自身に身をもって体験させ責任を持たせる事が大切。
人は失敗やミスを繰り返して成長していく。
大人が一生懸命になりすぎて、こども達がミスをしない環境作りに力を入れるのではなく、安心してチャレンジが出来る様、見守ってあげれる余裕を持てると、たぶんもっと楽だし、子ども達も良い子に育ちますよね。
きっと、、