努力は夢中に勝てない
最近、「頑張る」ってなんだろう?
って思うことがあります。
多くの人が気軽に「〇〇を頑張る!」、「〇〇さん、頑張ってください」なんて、言葉をよく聞きますよね。
僕もよく、気づくと言っています。
でも本質的な部分を改めて考えてみると、この「頑張る」ってのは、少しネガティブに感じでしまうことがあります。
要は無理して頑張ろうとしている状況なのかな。
「今日も仕事を頑張る」
「今日の試合、頑張ってきます」
それって、本当にやりたいことをやってなかったり、無理して苦手な事をやろうとしているときに出るのかなって。
ネガティブかな?笑
だから「自分は本当にこれをやりたいのか?」という疑問が生じるのは当然のことであり、言ってみたらそれが、本当の自分からの「違うんじゃない?」というメッセージになることがあるかもしれませんよね。
当たり前ですが、無理して頑張ろうとしている状況だとやる気は出ませんよね。無理をしてるんで当然です。
好きなことをする時って別に、頑張ろう!と、思ってやらないっすよね。
思い立ったら動いてるし、その時は時間が足りなく感じてしまう。
寝ている時って、そんな事ある?!と、いうような場面があったり、好きな芸能人とデートしてたとか、夢の中だと様々な事がありますよね。
皆さんも寝ている夢の中で、好きな事を行動していた経験などがあるかと思います。
「夢中」という、言葉があるように好きなことに夢中に取り組んでる時は、夢の中にいる様に、その人が本当にやりたいことだったりするんだろうなと。
そこに「頑張り」はいらないんですよね。
もっと言えば、無理して頑張っている限り、本来持っている才能や能力も発揮されません。
これはある方の言葉で
「飛びたくないけど無理して頑張って飛んでる鳥っていますかね?」
「走りたくないけど無理して頑張って走ってる馬っていますかね?」
僕は鳥や馬じゃないんで、気持ちはわからないですが、そんな鳥や馬はいないかと笑
でも、鳥も馬も、ただ本能の赴くまま、飛びたいから飛んでいるし、走りたいから走っていると思います。
もっと本質的なことを言えば、鳥には「飛ぶ」能力があるので、自然とお母さん、お父さんが飛んでる姿を見て、「僕も、私も飛びたい」という欲求が生まれ、飛べる様になるんだと思います。
それにより鳥が本来、持っている才能や能力が発揮される。それは僕たち人間も同じこと。
「やってみたい」、「もっと探求したい」などの内発的欲求がないところには、僕たちの才能や素質は生まれないし、活きないんです。
そして、自らの意思にその様な欲求がないことをやるときに「頑張らなきゃ」という、自己意識が生まれるけど、その場合はやはり実りは少なく、苦労を多く感じる結果になることが多い。
なので、無理して頑張ってる時点で、自分の才能が閉じる方向に向かっていると思っていいのかと。ただ誤解して欲しくないのは、なにも「頑張る」という、努力を否定している訳では無いです。
自分がやりたいことを、一生懸命「頑張る」のと、やりたく無いことを無理して「頑張る」のとでは、全く違うということです。
前提の意識が、自分の本当の気持ちを尊重する自己愛なのか、自分の気持ちを押し殺す自己卑下なのか、、
これらに明確な違いがあるからです。
最後に
好きなこと、面白そうなことに夢中でやっている時、って、頑張って努力している感はありますか?
それは自分が何か行動を起こす際の大きな物差しになりえるかと思います。
努力は夢中に勝てない
皆さんはヒラクエに夢中になる!笑