被写体
「この世に確定しているものなどは何もなく唯一、それを確定させるのは意識」
この世の中には、決定してるものなど何一つもなく、可能性しかないんです。
しかし、その一方で僕達は、その可能性を勝手に限定し、制限するような思い込みをする。
それこそ、そのネガティブな選択肢を何万通りも持っている。
思い込みとは「そうに決まっている」と、意識しているものです。
自分自身が、勝手に理屈や理由を作り「そうに決まっている」と頭の中で意識しているので、そう意識した通りの現実が目の前に現れる。
最近、カメラで、サッカースクールの子ども達の写真を撮ったり、YouTubeの撮影をしている時に、ふと感じるんですよね。
撮影する時に、意識しているのは大抵その被写体となるこどもたちだったり自分だったりになるのは当然で、でもそこには背後の風景もある。
ですが、ほとんどの意識はその “ 被写体 ” に向きます。
そうすると、その被写体にピントが合うので、その人ははっきり写りますよね。その一方で、背景はぼやけたままになったりします。
一眼レフのような、フォーカス機能がある場合は尚更。
その場合、被写体はさらに際立ち、それ以外の風景はぼやけて曖昧になる。
景色だったり、風景は間違いなくそこにあるのに、はっきりと意識されない状態になるんですよね。
この被写体を「自分の可能性」、「子ども達の可能性」などに置き換えたらどうなるかと。。
先日にスペインで、こども達に認識テストを行いました。11人居た子ども達の中で、今の話で言うちゃんと被写体から背景まで、ピントが合ってる子どもは、その中でも1人しかいませんでした。
人って意外にも、そうは思ってなくても、「そうに決まっている」と勝手に思っているんですよね。
だからこそ、「そんなの無理」、「そんなの有り得ない」、「このぐらい出来れば良いだろう」などに、ピントが合っていれば、不思議なもんで、それ以外の可能性は見えなくなります。
もしかしたら、その背景にはもっとすごい可能性があるかもしれないのに。。。
でも、フォーカスしてないから、、
つまり意識してないので、見えないんです。
目には映っていても、意識してないのでピントが合わないんです。実際には僕たちの周りには、たくさんの可能性が存在しています。
僕は特にサッカーで世界を見てきて、すごくそれを感じてきました。
でもそんなの無理、有り得ないと意識していれば、その可能性は確実にゼロになる。
サッカーの中で「〇〇に意識してやろう」と、子ども達に声をかける事がよくありますが、じゃ、20人に対してその発言をしても、実際にその “ 意識 ” をちゃんとして、プレーをしている子どもが果たして、何人いるだろうか。
その意識が、1日、また1日、1ヶ月、1年、、、
積み重なって、意識して見ていたものが、無意識でも見れるまでになったら、その子はまた次の段階に行ける。
当然、それは『意識の傾向』になる。
そして当然ながら、現実は僕らが日常から意識していることが形となり、今がある。
僕らの現実の傾向は、意識の傾向なんです。
逆を言えば、こんな可能性もある、こんなことも有り得る、と意識していれば、不思議と引き寄せてそうなる可能性も高くなる。
そのようなチャンスにもピントが合うので、思ったものを掴みやすくなる。
こんな可能性を高めたい!!と思うなら、まずはそうなる為に、自分自身の可能性を認めよう。そして保護者の方々は保護者の方々の適正な関わり方でこども達を応援してあげて下さい。
人生は、自分にとって都合の良い可能性を高めていけば1番良いんですよ。