価値観
最近の小学校の道徳が正式な科目となり、授業の一環として行われる様になった場所が多いと言われています。
文章を読み、頭で考え、教科書の絵を見ながらイメージを膨らませる。
とても素晴らしいと思います。
しかし、教師はより難しくなりますね。
例えば教科書の中で『親の愛情』という、道徳のテーマがあった時に各家庭環境によって子供達の育ってきた環境も違うので、その子の感覚や感性も様々。
そうなると道徳が教科になったことによって、道徳の教科書に基づいた規則(答え)に子供達を導いて行く事は非常に難しく、そこを扱う学校の教師の方々は大変になるんだろなぁ~と。
サッカーも同じように選手それぞれのキャリアがあり、一つの『サッカー』に結びつける事は不可能だと思います。
僕も指導の中で子供達の試合であれば、その試合の中でチームテーマから選手達で決めさせて自分達で決めたことは必ず守る。
試合で問題が発生したらまずは選手達で話をして、最後に僕は一言だけ。
サッカーには教科書はないけど、試合という全てがアドリブの中でとっさの判断の連続。
その中で指導者が指導者の価値観でサッカーを押し付けてしまうと必ず選手の個性は死ぬ。
ある意味、今まで全国各地のサッカー選手達を見てきたけど、自由にわがままにやってきた選手の方が面白い選手に育っている様に感じる。
もちろん、だからといって選手を野放しは出来ない。
子供達、選手達が自ら考え、発想し、同じサッカーの絵を頭の中にイメージして、それをチームとして行動に移せる、移すために自分の役割を理解する環境を作っていく事が大事だと思う。
話はずれたが道徳の授業では価値観の押し付けにならない様に、価値観について考え、その価値観について議論が出来る環境を学校では『道徳』という教科の時間を使っていってもらいたいですね。