教えない
平川コーチの指導法とか、理念みたいのって何で勉強されたんですか?みたいな質問をたまに受けます。
僕は昔から勉強して学ぶのが苦手で、テキストに向き合って何かを得るみたいのがダメな人間でした。
だから、今の僕なんでしょうが、全て感覚で覚えてきました。それを才能と言われたらこの部分は才能なのかなとも思います笑
でも、こういう人、多いんじゃないかな?
家電製品とか買っても付属の説明書を読むのが苦痛で触って感覚で覚える人。僕もその一人。
だから、ある意味、家電もだし、スマホもだし、車とかの機能を最大限に使いこなせてない笑
良いか悪いかは別としてね。
最近は何事にも「教えない」指導法が流行っています。
もちろん、全てを教えて実施出来るコピー人間を作るよりもより、人間味のある方が育っていくと思います。
しかし、なんでも教えないから良いのか??
そこは大人や指導者の腕の見せ所ですよね。
最近、関東を中心にふらふらと色々なサッカー指導者の指導している場所に寄ってトレーニングを見たりしています。もちろんショナイで笑
見ていると、この “教えない ”の捉え方を勘違いしている指導者も多いのかなって感じる事がありました。
教えない指導法の都合の良い所だけ切り取ってもそれは難しい。
もちろん関わるカテゴリー(世代)によって、どこまでを教えないか、などのさじ加減は異なりますが、ただ、指導者から
「なぜ〇〇が出来ない?」、、、
、、、「それは自分で考えなさい」
これは流行りの教えない指導ではないかな。
指導者として、お粗末すぎるかな。
系譜やバックボーンを理解する事が大事。
そもそもその子の「出来ない」には理由がある。
それが知識なのか、スキルなのか、はたまた物理的な物なのか、その子によって様々。
その子に対して、「自分で考えろ」
これも突き放して、その子自身に自分で調べさせたり、何故そう言われたのかを考えさせるってのは、皆さんやってるよね。
別にそれを悪いとは思わないけど、、、
その子の性格などによって喋り方、声のトーン、内容を使い分けられる指導者が優秀だと思うし、完全に考えさせるというよりは、少ないヒントを大人が与えて、あえて考えさせる方が今までの経験上、こども達の理解度や吸収力が良かったなという肌感がある。
人の脳は文字を書くことや行動を重ねる事で身についていく。
完全に突き放すのではなく、理解する為に少しのアドバイスを与え、何回もトライ出来る環境までアシストしたい。
それを見守ってあげる勇気を大人がもち、出来たら最後にその出た「結果」に対しての答え合わせまでしてあげたいね。
「それだよ!ほら出来たじゃん!」
いくつになっても褒められると嬉しいっすよね。
こどもたちも一緒。
大人に褒められたら嬉しいし、それがみんなの前で褒められたりすると、その子にとって優越感になり、それがその子の自信に変わる。
大切な事ですね。
僕を含めて、人前に立つ仕事の方々はこの様なこどもたちの成長の場を意図的に作る事が出来る。
だからこそ、貴重な時間だから突き放すばかりの「教えない」指導ではなく、少しのアドバイスを与えて「教えずに感じさせる」指導をしてもらえたら、こどもたちは様々なアンテナをめぐらせて自ら感じ取り、変わっていってくれると思うよ。
それはスキルだけじゃなくて人としても変わっていく。