本当の幸せとは?
こんにちは!
2月16日(金)に都内で、スフィーダ世田谷のキックオフイベントがありました。
応援していただいているスポンサー企業を始め、多くの方々とお顔合わせが出来て、今シーズンからスフィーダ世田谷に関わらせていただいてますが、このクラブの歴史を感じることが出来ましたし、皆様にサッカーでの結果もそうですが、東京の世田谷の方々がスフィーダ世田谷を通じて、スフィーダが我が街にある幸せに感じてもらえる様に精一杯、頑張っていきたいと思います。
さて、「幸せ」というワードが出たので、今回は幸せについて書きたいと思います。
幸せって、何を持って「幸せ」と感じますか?
幸せの定義は、人それぞれだとは思いますが、幸せな方々への嫉妬や妬みの中で、結構ありがちなパターンの多くが、自分と他者と比較して「私は。。。」と落ち込むことだそうです。
でも、なぜ落ち込むのでしょう?
他人の幸せの事なんて、他人の事なんで気にしなければ、落ち込むことも無いのに、人間は何故だか比較わをしたがる。簡単に言えば、他者の方が成功してる、幸せ、偉い、凄い、なんて思ってるからですよね。
そう思ってなかったら、落ち込まないはずですから。
でも、果たして本当にそうなのかな?
例えばですよ。
自営業の人であれば、事業規模が大きい方が凄い、偉い、成功してるなんて考えがちですよね。
でも、その経営者は資金繰りが大変で、毎月末に胃が痛い思いをしていたら。。。?
都内の一等地に豪邸を構えていても、家族にほとんど会話がなく、いつも孤独感に苛まれていたら。。。
そういう状態でも本当に成功、幸せ、と言えるのか?
事業規模が小さくとも自由な時間が多く、家が小さくとも家族との楽しい会話がある方が幸せと考える事も出来ますよね。つまり、事業が大きいから幸せとか、お家が豪邸だから幸せでは無くて、その方にとっての成功や幸せの形って必ずあって、そこは他人と比較をしてもしょうがなっすよね。
当たり前のことなんですが、生きて行く上で、誰もが最終的に求めていることは「幸せ」だと思います。
成功を求めている人でも、成功することで幸せを感じたいがために、成功を求めている。
このことに例外はないんです。
でも、その「幸せ」の基準をモノや数字などに置き換えると、結構な確率で「いばらの道」を歩むことになります。それは自分軸からズレることが多いからです。
本当の自分はそれを望んでないのに
「会社の売上を上げるのが成功で、それがイコール幸せ」と考えて行動しだすでしょう。
すると本当の自分は抵抗を始めます。
本当の自分が望む方向に引き戻そうと抵抗する。
つまり「なかなか思うようにならない」、「大変で苦労が多い」という現象で。
それでも歯を食いしばって頑張って、目標数字を達成したり、モノを手に入れる人もいます。
でも、軸からズレてると「あれ?達成したのにさほど嬉しくない。達成感がない」なんて結果にもなりがち。
最悪な場合、一番大切にしたい人や、本当は一番望んでいる状態が遥か遠くに行ってしまう。
そして、その虚しさや、寂しさ、苛立たちを埋めるために、さらに数字やモノを手に入れようと躍起になる。でも、それは本当に望んでいることではないので、いくら数字やモノが手に入っても永遠に満たされない。
実際に周りの経営者の方々の話を聞いていると、そういう状態の人が結構いるんですよね。
側から見ると完全な成功者でも、実は幸せではない、生活に不満があるという状態の人。
だから、モノや数字を基準に「自分は全然だ、早くそうならねばー」なんて考えは絶対やめた方がいい。
さっき書いた通り、自分が本当に望んでいることからズレるからです。
辛くても、苦手でも、嫌なことでも頑張ってやり続け、数字やモノを手に入れたら幸せになるものではないんです。
今、自分が幸せを感じることに、時間を使い、一生懸命取り組み、それを持続さえ出来れば、誰でも自ずと幸福感を得れる様になります。
だから、自分が幸せを感じること、自分らしさを発揮できること、すなわち、自分の軸を大切にして生きることが大事。モノや数字を基準にして「私もそれを手に入れなければ!!」なんて行動するのは、みすみす罠にはまるようなもの。
そして、その罠にはまるとなかなか抜けられません。
数字やモノに執着し、それをひたすら追い求める状態が続くからです。
あなたがあなたらしくいられ、楽しさや喜びを感じること、すなわち幸せな状態でいられることをひたすらやっていればいいんです。
それが結果として、数字やモノとして現れてくると思うので。
他人は他人。自分は自分です。