我慢
大人が子ども達に対して「〇〇をしてあげる」
これは大人側も考えなければいけない、大きな問題だと思うんですよね。
この発言だったり、行動をしている親だったり、指導者は良く見ますが、悪気はないんだと思います。
子どもに気を遣っての言葉だとは思いますが。
多分ですが、本当に必要であれば子ども達は自分で言って来ると思います。
子どもが、お腹空いたら「ママ、お腹減ったよ」
子どもが、喉乾いたら「ねージュース買って」
そう、訴えかける様に。
わざわざ、親だったり指導者が、子どもに対して僕は、「〜をしてあげようか?」とか「〇〇をしてほしいの?」という、問いは子ども達に必要は無いのかなと思っています。
僕も一時期はやっぱりありました。
子供達にとっての「良かれ」だと思い、そう話していた時期がありました。
でも、根本に、
自分の事は、まず自分でする。
自分の事は、自分にしか分からないので自分から言う。
これが基本ですよね。
僕たち、大人が良かれと思っている事でも、子供達の為を考えたら、それは与えすぎなのでは??
なんて事もよく周りで見受けられます。
大人の必要以上の言葉の与えすぎ。
大人の必要以上の行動の与えすぎ
大人の必要以上の気の使い過ぎ
『良かれ』と思っている事が、与えすぎの『与かれ』になっていることもあるのでしょう。
じゃ、親や指導者のサポートってなに??
与えすぎは、子供達の成長にマイナスだと思いますが、それは子供達にとっては、すごく快適に感じることかもしれません。
自分から何も言わなくても、困ったら気づいた誰かがやってくれる。
明日の試合の準備や着替えの準備を親がやってくれる。
それは、それは、とても快適です。
実は僕も小学5年生ぐらいまではそうでした。いや、それよりももっとかも。
でも、大人になってから後悔することも多かった。
小さい時から、その環境に慣れてしまうと、自分から考えて、行動に移そうとする自立心が全く養われないんです。
一番、そういった感覚が育つ大事な時期なのに。
でも、これらの言葉を発している方々は何も悪気はないんです。だから、気付きづらい。
しかし、その行為が子どもが成長するチャンスを潰してしまっている。
与えすぎる人というのは「ありがた迷惑」であるケースも多い。
「良いことをした」
「相手に気を遣った」
「相手を喜ばせた」
という、満足感に浸りたいだけな方もいらっしゃいます。こういうケースでも同様なことが言えます。
でも大人の気持ちよりも、優先させなければいけないのは子供達のこと。
家で子供が親に「飲み物持ってきて」、「お箸持ってきて」「リモコン取って」と言われてませんか?
そして、言われたら持っていきますか?
もし、子どもの可愛さが故に、してしまっていたら、それは本当に「子供の為」になっているのでしょうか。
身の回りのことをなんでもやってあげてしまうことは「サポート」ではありません。
時間はかかってしまうのはしょうがない。
その子が成長するチャンス何だから、大いに時間は使いましょう。
まず子ども自身でトライして、ダメでも何回か様々な形でトライさせる。
意外に子どもは出来ますよ。
本当に子供では出来ないことだけをサポートしてあげる事が大事。大人の力が必要な事も沢山あります。
大人が待ってあげれる我慢強さを持つことが大切。
お部屋の片付けだって、着替えや身支度なんかも時間の事を考えたら、大人がやる方が、間違いなく早いに決まってます。
でも、年齢が低ければ低い程、時間がかかってしまうけど、大人が待つ我慢が出来れば、それは「子供が出来る事」なんです。
何でもかんでも、すぐに助け船を出すのではなくて
大人が我慢して「待つ」こと。
そして子供にとって「良かれ」と「与かれ」の違い。
今一度、僕自身もだけど見直していきたいポイントですね。